stone-buddha’s blog

世界発 弥勒菩薩とジュエリーのコラボレーション 逸品を紹介します

いまあるものに目をむける

 

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★こんにちわ Gemもんじろうのyasukoです。

このブログでは、世界で初めての作品★★★

弥勒菩薩」と「宝石」のコラボレーション (限定品)

名付けて stone-buddhaの魅力について掘り下げていきます。

 

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 仏像と暮らす日々は、穢れがそぎ落とされていく感覚があります。

弥勒菩薩に手を合わせ、「いまある幸せに感謝する」そんな毎日が日常になりつつあります。

 

毎日閲覧させていただくブログの中に素敵な記事がございましたので、シェアさせていただきました♥

↓↓↓↓

 

 その昔、オーストリアに、エリザベートというそれは美しい女性がいたそうです。

 

貴族の娘として生まれたエリザベートは、やがて皇帝に見初められ、16歳でオーストリア皇后となります。

 

ところが生来の自由人気質から、堅苦しい宮廷生活を嫌い、ヨーロッパ各地を旅行してばかりだったとか。

 

 

皇后としての職務だけでなく、妻や母としての役目も果たそうとしなかったエリザベートは、やがて宮廷内で孤立していき、その寂しさから、さらに破滅的な行動に拍車がかかっていったといいます。

 

そんなエリザベートの唯一の武器は、圧倒的な美貌でした。

 

彼女は美しい顔立ちをしていただけでなく、身長172センチの長身、体重は45キログラム程度。

 

エストにいたってはなんと50センチと、驚異的な体型の持ち主だったそうです。

 

 

エリザベートの美に対する執着は、常軌を逸していました。

 

美貌と若さを維持するために、肉は一切食べず、食事は専(もっぱ)らブイヨンやオレンジジュース、ミルク、卵の白身だけで済ませていたようです。

 

また、体型維持のため、何人もの侍女を従えて1日中宮廷内を早足で歩いたり、毎晩お酢に浸した布をウエストに巻きつけて過ごしたりしたといいます。

 

しかし、それほどの努力をもってしても、老いに抗(あらが)うことはできませんでした。

 

 

晩年、エリザベートは、分厚い黒のベールを頭からかぶり、さらに扇や日傘で隠して、決して顔を見せようとはしかなったといいます。

 

シワやシミだらけになってしまった自分の醜い顔を、人前にさらしたくなかったからです。

 

その後、1898年に、エリザベートは旅行先の湖のほとりで暴漢に胸を刺され、その生涯を閉じます。

 

死後、彼女の波乱に満ちた人生は舞台化され、現在も世界中で人気を博しています。

 

 

女性に美に対する憧れと執念は、今も昔も変わりません。

 

エリザベートの歩んだ人生を見てみると、美しさを手に入れることが、必ずしも人生の幸福につながるというわけではなさそうです。

 

 

彼女は、圧倒的な美しさによって大きな成功を手に入れました。

 

しかし美しかったゆえに、それを失うことを、人一倍恐れた。

 

老いて醜くなるほど、彼女の苦しみや孤独は、人の何倍も大きく膨らんでいったのです。

 

 

人は、必ず老いていきます。

 

その運命からは逃れられません。

 

美しい人はたるんでいく顔に、たくましい人はやせ細っていく体に、聡明な人はぼんやりと鈍っていく頭に、人一倍悩んで老いていきます。

 

人よりも輝いている部分をもっている人ほど、人生の後半は、それに悩まされて死んでいくのです。

 

 

人生は、良いことも悪いことも全部半分ずつ、均(なら)せば同じ。

 

最後は、ちゃんと辻褄が合うようにできているのですね。

 

 

どんな人にも、その人にしか務まらない役割があると、私は思います。

 

美しくなくとも、体力がなくとも、全員、どこか一つはいいところが必ずある。

 

人には、それぞれ生まれ持った器があるのです。

 

 

美しさや若さは眩(まぶ)しくキラキラ輝いて見えますが、日が陰り光を失ったときにこそ、その人の正体は生々しく浮かび上がります。

 

自分にないもの、失ったものと同じだけ、自分が今、手にしているものに目を向けられるか。

 

そこに人生を最後まで楽しむヒントが隠されているように、私は思うのです。

 

 

《優れた部分がある人ほど、最後はその衰えに失望しながら死んでいく。自分にないものではなく、手にしているものに、目を向けて生きよう。》

 

 

 

 

 

どんなに絶世の美女であろうが、時がたてば老い、そして死んでいく。

 

そして死ねば、自分の体は、あの世に持っていくことはできない。

 

これは、財産も、名誉も、肩書も、みな同じこと。

 

 

だからこそ、無いものを嘆くのではなく、今自分が持っているものに目を向け、そしてそれがあることに感謝することが必要。

 

今、仕事があり、家があり、家族や友や仲間があり、そして、 生きていること、五体あることに感謝する。

 

 

幸せな人は、ないものを嘆くのではなく、今あるものに感謝する。

 

自分が今、手にしているものに目を向けたい。

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家に「弥勒菩薩」がある生活。。。。。心の調整とクリーンナップ。

皆さまの心豊かに暮らせる礎として ストーンブッタが お役に立つに 違いないと確信いたします。

 美しい弥勒菩薩とともに、心豊かな毎日を・・・

 

 

 

 

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● 高さ22センチ  巾11センチ  台座奥行16センチ

 ● 原型製作・茨木彰 ジュエリーデザイナー・荒木一郎

 ●額/イエローサファイア・耳/ペリドット 台座/シトリン・マーカサイト リボン帯/ルビー

 

★2大カリスマによるコラボレーション★夢の作品です。

全て手仕事で熟練の職人の技が光る秀逸作品です

どうぞ、手に取ってお確かめ下さい。実物はものすごい存在感です。

 ★お色は3パターン 黒・金・木目調

 

眺めているだけで、心があらわれ清々しい気分に包み込まれる、なんとも不思議な感じ・・・弥勒菩薩に埋め込まれたジュエリーは、多くの人からメンターと呼ばれる荒木一郎先生のデザインです。原型製作はカリスマ作家 茨木彰さん

 

 

「 世界中から注目度の高い、人気のNo.1の仏像」の魅力↓↓↓

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(広隆寺/ 弥勒菩薩半跏思惟像)

 

 ●弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう、みろくぼさつはんかしいぞう) は、未来に釈迦の後継者の如来となることを約束されている菩薩です。

 ●仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像である。

 ● 右手の中指を頬にあてて物思いにふける姿で知られる。

 「どうしたら 釈迦の救いから漏れた人々をすくえるのだろうか、と弥勒が思索にふけっている様子を表している。

         

 弥勒菩薩の微笑みは「アルカイク・スマイル」として知られている。またその姿がオーギュスト・ロダンの考える人を想起させることから、「東洋の詩人(フランス語: Poète de l'Est)」との愛称をもつ。

 

足の形はいつでも立ち上がって、衆生(しゅじょう/迷える人々)を救いに行けるようスタンバイしている格好。静かな様子の中にもすぐに行動を起こそうと準備しいてる思いにあふれるポーズです。

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 次回も 引き続き、ストーンブッタ 弥勒菩薩の魅力について掘り下げていきますので

お楽しみに。

 

 

ストーンブッタの一番最初の作品 弥勒菩薩をみて不思議な幸せな気分になられた方、幸運を引き寄せられた方、ビビビッと感じられた方、、、どうぞ、読者登録してください^^

 

 

引き続き幸せなできごとが、舞い降りくるかもしれません・・♥♥

 

 

 Gemもんじろうでは、3種の弥勒菩薩を限定予約販売しています。

 この商品へのお問い合わせはこちらです。→ puriarako@yahoo.co.jp    「Gemもんじろう 」

 

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